チェチェンへの旅 2008年秋

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03
アルハン・カラ村へ 夕刻、スンジャ川の川面が光っていた。アルハン・カラは人口1万5千の大きなベッドタウンの村だ。
首都南西の工場地帯に隣接する。荒れ果てた工場地帯を抜ける近道の道路を嫌って、多くの人は首都からロストフ・
バクー幹線道路に出て、南隣のアルハン・ユルト村の方から大回りしてスンジャ川を渡って、この村へ入る。



04
アルハン・カラ村の村はずれ,スンジャ川を見下ろす段丘のふちに墓地がある。1本柱が建っているが、これは、信仰に
命を捧げた殉教者を悼む印だ。この村では数本しか見かけなかったが、大虐殺のあったサマシキ村の墓地にはハリ
センボンの棘のように、殉教者の旗ざおが林立している写真を見たことがある。第2次チェチェン戦争の初期、侵攻した
ロシア軍は、この村で略奪行為を続けた。この村で負傷者の治療を続けて、侵略軍を迎えたバイエフ医師は、あらゆる
ものが奪われ、老父を座らせようにも、座らせられるものが、何も見当たらなかったと当時を語った。しかし、押し寄せた
ロシア軍は、それだけ略奪してもまだ満足しなかった。この墓地で、彼らは戦死した若者たちを埋めた新たな埋葬箇所
が土の色が違っているのに気づくと、そこを住民たちに掘り返させた。そして住民に掘り出させた死骸をハンカラ基地に
持ち去った。遺骸を返却してもらいたかったら身代金(!?)を積めという訳だった。



05
シャヒード(殉教者)を悼む標識

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