アブハジア

 ソ連時代、アブハジアは自治を認められていたがグルジアに帰属していた。ソ連が崩壊すると、グルジアは独立を宣言したが、
アブハジアも自分たちの独立を宣言した。これに対して、その独立にグルジアは強く反対した。そして
1992814日、軍隊を
派遣してアブハジアの占領を目指した。流血の戦争がおよそ1年半続いた。
1993930日、アブハジア人は、グルジア軍を
自領域から撃退して事実上の独立をかちとった。

 アブハジア情勢沈静化にグルジアは、ロシアの支援を要請した。ロシアはグルジアが自国領内にロシアの軍事基地を置くことを
認めることと、
CIS=独立国家共同体に加盟することを支援の条件とした。グルジアは、この条件を呑んだ。1996年から今日まで、
ロシアとグルジアの軍隊は、アブハジア国境を閉鎖した。その理由の一つには、アブハジア側からのチェチェン支援を防ぐと言うことが
挙げられた。アブハジアには、日常用品すら輸送を禁止している。

 アブハジアの大地は非常に豊かで、かつ豊壌であるため、ロシアとグルジアによる通商停止は効果を上げていない。グルジア側
からのアブハジア再侵攻の可能性は存在している。アブハジア民衆は完全武装で備えている。治安機関は、社会秩序の維持が困難で、
しばしば犯罪や略奪が発生している。

 現在アブハジアには、アブハズ人
10万、グルジア人9万、アルメニア人8万、ロシア人6万、トルコ人1万、その他の少数民族5万人が
居住している。