カラチャエボ・チェルケシア

 カラチャイ人とバルカル人は兄弟民族である。カラチャエボ・チェルケシアの人口は13万人、その31%がカラチャイ人、
42%がロシア人、10%がチェルケス人、7%がタバサラン人、3%がノガイ人、7%がウクライナ人を含む、その他の少数民族
である。
1926年から44年まで、カラチャイ人は自治州を構成していたが1944年に強制移住処分を受けた。フルシチョフ
時代の
1957年に復権して郷土に戻った。しかし、自らの共和国を作ることは認められなかった。

 カラチャイ人はチェルケス人と共に、カラチャエボ・チェルケス共和国を単一の政府の下につくることになった。反民族的な
ソ連の政策は、カラチャイ人と 同じ地域に住むチェルケス人、アバジン人、ロシア人、ウクライナ人との関係を複雑化した。
チェルケシアとの分離を望むカラチャイ人は、「ジャマガート(訳注:一般名詞としてはイスラーム武装集団を指す言葉)」を
組織し、民族代表と「ジャマガート」の指導者たちは、
19901017日、民族大会を開催して、自らの独立を宣言した。
しかし、モスクワは、そのような権利はないと承認しなかった。この独立宣言の後、カラチャイ人と他の民族との関係は、更に
悪化した。アバジン人は、カラチャイ人の側からの圧迫に対する不満 を公然と表明している。この国全域で、互いが悪意を
感じあい、関係が険悪化している。もしも、これらの民族集団の指導者たちが無思慮な一歩を踏み出したら、 修復不可能な
混乱が起こる可能性がある。

 他方、カラチャイ人はカバルディノ・バルカリアの動向を注視している。というのは、バルカル人の将来に対し、彼らは無関心
ではいられず、事態の展開の如何によっては、カラチャイ人自身が、積極的な役割を果 たすつもりでいるからだ。また
アブハジアは、カラチャエボ・チェルケシアのアバジン人の状況に深い関心を寄せている。

 

カラチャイ・チェルケス共和国 - Wikipedia