チェチェン・カフカス関連ウェブサイトリンク集 1  目下作業中

 1990年代後半は、インターネットが一気に普及した時期にあたりますが、第2次ロシア・チェチェン戦争は
まさに、その時期に始まりました。

この戦争は、最後の植民地戦争とも表現されますが、第一次インターネット戦争といった要素を強く持ってい
ます。ロシア側は、第一次戦争の敗因を分析し、自軍を経験不足のスローチニキ(徴募兵)からコントラクトニキ
(契約志願兵)に切り替え、外国人ジャーナリストの、この地域からの締め出しを行い、情報遮断の中で戦争を
再開しました。またロシアのマスコミからは、批判的な勢力を排除し、特にテレビ局は、ほぼすべてを体制支持
派で固めました。また、さまざまな挑発や謀略を行って、チェチェン内部を分裂させました。

第2次チェチェン戦争が、始まる直前に1999年夏には、独立派は、3つに分裂していました。ロシアと再び戦うの
を回避し、妥協しようというグループ。その代表的人物が、国家ムフティー(国家レベルでのイスラーム最高指導者)
アフマド=ハジ・カディロフや、チェチェン第2の町、グーデルメスを地盤とするヤマダーエフ一家などのグループ
です。

一方、大統領のマスハドフは、シャミリ・バサーエフやアラブ義勇兵の指導者ハッターブら、イスラーム主義武装
勢力に手を焼き、彼らとの衝突・内戦の回避に手いっぱいで、思い切った行動が、なかなかとれませんでした。
マスハードフのもとには、ハジムリート(伝統イスラーム)系の野戦司令官たちが従っていましたが、彼らの多くが
戦争初期に戦死しています。

このことが、後にイスラーム主義者が、武装抵抗運動の主導権を握る原因となっています。それは、さておき、
グローズヌイ攻防戦も、そのあとの南部山岳地帯でのゲリラ戦も、初期には、マスハードフ派と、バサーエフ派は
バラバラにロシア軍と戦っていました。両者が統一した指導部を確立したのは、2002年の夏です。

さまざまな不利な条件のもとで、チェチェン側が抵抗した大きなよりどころが、インターネットによる情報発信でした。
首都を放棄して南部山岳地帯に撤退した独立派の武装勢力は、国外に脱出した人々とインターネットを通じて、
連携を保ち、執拗な抵抗運動を保ったのです。消えていったものも少なくありませんが、現在も、さまざまなグルー
プが、ウェブサイトを維持しています。


独立派(イチケリア派)
 1991年に、ソ連から独立を宣言したチェチェン共和国は、まもなくチェチェン共和国(イチケリア)を名乗るように
なりました。本来、イチケリアは、南部山岳地帯のごく一部の地域を指す言葉で、ふさわしくないという異論がある
一方で、あえて独立派を支持するという気持ちを込めてチェチェンを指すとき、イチケリアと呼ぶ動きもありました。

2007年に、独立派抵抗運動の指導者ドカ・ウマーロフが、イスラーム主義者の提唱してきた北カフカス全域の
シャリアート国家の徹底によるイマラート・カフカス=カフカス首長国を宣言すると、それを受け入れなかった人々
は、イチケリア派と呼ばれるようになりました。

チェチェンプレス ChechenPress
 国営通信社チェチェンプレスを名乗っています。ロンドンに亡命し、チェチェン共和国(イチケリア)政府閣僚会議議長(首相)を名乗っているアフメド・ザカーエフ氏の影響下に運営されています。主要言語はロシア語、英語版は、あるにはあるが、という程度です。 世俗主義、西欧型民主主義的傾向が強いサイトです。
チェチェニュース ChecheNewes
 デンマークに亡命した、数少ないハジムリート(伝統イスラーム)系野戦司令官の生き残り、イサ・ムナーエフ氏が指導する「自由カフカス」運動の影響下にあるニュースサイトです。イスラームという宗教をよりどころにはしていますが、ジョージア(グルジア)、アゼルバイジャンなどを含めたカフカス全域の民衆の団結によってロシアの帝国主義・植民地主義と対抗しようと呼びかけています。ロシア語版

イチケリア・インフォ Ichikeria.info
 フランスに亡命したチェチェン議会外交委員長アヒヤド・イディーゴフ氏や、イチケリア政府フランス駐在代表のムサ・タイーポフ氏の影響下にあり、ザカーエフ氏の路線を厳しく批判し、チェチェン共和国(イチケリア)政府幹部会を名乗っていますが、その実態は、イディーゴフ氏のほかには、初代大統領未亡人アッラ・ドゥダーエフ夫人(グルジア在住)が加わっている程度です。ロシア語版
ダイモーク Daymohk
 アゼルバイジャンに編集部があるニュースサイトです。マスハードフの謀殺の後、イチケリア大統領となった、アブドゥルハリム・サドゥラーエフは、このサイトを大統領府公式サイトの資格をこのサイトに付与していました。これは、他のチェチェンサイトが、あまりに派閥色が強いのを嫌ってのことと考えられます。ロシア語版
ワイナフ・オンライン WaYNaKH Online 
 トルコで運営されているサイトで、トルコ語と英語で発信しています。


イマラート派
 チェチェン人には抵抗感のある言葉ですが、いわゆるワハビート(イスラーム主義者)たちは、2007
年に、チェチェン共和国(イチケリア)を清算して、シャリーア(イスラーム法)にもとづくカフカス
首長国に移行することを宣言しました。ある意味、独立派であることを自ら否定した訳です。

カフカス・センター Kavkaz Center
 その経歴には、いかがわしい部分がありますがイチケリア政府の情報相や、外相を務めた経歴もある、モヴラディ・ウドゥーゴフが設立した、イスラーム主義民営通信社のプロパガンダ・サイトで、規模や実力は、他を圧しています。客観的に見ると、ロシアに有利な主張もしていますが、ロシアの特務機関から目の敵にされ、サイバー攻撃に、しばしばさらされています。サーバーが置かれているのは北欧諸国です。
フナーファ Hunafa
 イングーシのイスラーム主義武装勢力の影響下に運営されているサイトです。
イスラーム・ディン
 カバルディノ・バルカリア、カラチャエボ・チェルケシアのイスラーム主義武装勢力のサイトです。
VDAGESTAN
 ダゲスタンのイスラーム主義武装勢力のサイトです。イマラート・カフカスは、なんでもシャリーア風にということで、各共和国名を、ヴィロヤートに変えましたが、それで、サイト名がVDAGESTANとなるわけです。