チェチェンへの旅 2008年秋

Return to Top  Previous  Next



29
独立時代には「三馬鹿記念碑」とコケにされていたが、ソ連時代に建立された諸民族の長兄たるロシア人と、脇を
固めるワイナフ(チェチェン人・イングーシ人)の弟たち。飲んだくれの、我侭な兄貴を持ったら不幸この上ない。
苦労しているのは、なにもカフカスの人々だけではない。




30
占領下の首都では、三つの旗が一組で随所に飾られていた。ロシア連邦国旗、チェチェン共和国旗、そしてプーチン
与党、統一ロシア党旗だ。




31
グローズヌイ市内の一番の目抜き通りは、ソ連風に「勝利」大通りと呼ばれていた。それが2008年秋に権力者への
ゴマすりで改称された。なにしろ共和国の独裁者は、「自分の今日あるのは、全く彼のお陰なのだから。」そして、
ご当人は、自分としては、生前の人物の名を、地名につけるのは、自分の好みでないのだがと、余裕で謙遜して
見せた。


Return to Top  Previous  Next

© 2008-2011 Photo and text by Kazuo Okada All Rights Reserved