チェチェンへの旅 2008年秋

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イスラーム大寺院「チェチェンの心」。 カディロフ政権が信仰を大切にしていると誇示している、ヨーロッパ圏最大級の
寺院。もともとは、トルコの支援で独立時代に建立が計画された。それが、建物の形がトルコ風である由縁だ。2008年
末に落成を見た。内部




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アフマトハジ・カディロフの大銅像 (今は撤去されているという。)その銘盤には、「私は、自らの民衆を常に誇りに
思ってきた。」A.A.カディロフ チェチェン共和国初代大統領・ロシアの英雄とある。
Ахмат Абдулхамидович Кадыров 1951-2004 は、数奇な運命を辿った人物だ。スーフィーの教団(タリカート)である
カディーリー派(ハジムリートともチェチェンでは呼ばれる)の宗教指導者の一族の子として強制移住先のカザフ
スタンの北西部、カラガンダで生まれた。そしてイスラーム神学をウズベキスタンのブハラのマドラサ(神学校)で
修めた。ほぼ10年間、彼はウズベキスタンでイスラームを学んでいた。そのあと1990年代初めにチェチェンに
戻って、クルチャロイ村でイスラーム神学校を始めた。チェチェンが独立を目指そうとしたとき、チェチェン共和国
(イチケリア)の初代大統領、ジョハール・ドゥダーエフは、彼を国家ムフティーという、宗教上の最高指導者に
任命した。独立を阻もうとロシア軍が侵攻すると、彼は、ドゥダーエフと行動をともにし、ロシアに対するジハード
(イスラーム聖戦)を声高に煽った。しかし、独立派内にイスラーム原理主義グループが台頭してくると当時の
マスハドフ大統領に彼らとの決別を迫った。内戦回避に対決を逡巡するマスハドフと袂を分った彼に、ロシア、
プーチン政権は手を伸ばし、やがて戦争再開に当たって彼を味方につけて、占領地の臨時時行政府の頭目と
した。カディーリー教団の有力指導者という宗教的権威で、傀儡政権に正当性を持たせようと腐心したのだ。



36 その銘盤

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