北カフカスの武力紛争の現況

2013.01.31.
2013年1月23日ごろから、チェチェン東南部山岳地帯、ヴェデノ地区の森林部で、武装抵抗運動を続け
てきたフセイン・ガカーエフ司令官ら11名のイスラーム戦士が、カディーロフ派を中心とするロシアの
治安部隊の包囲を受け、数日にわたる激しい戦闘のあと、弾が尽きたところで、自爆して果てたと、双方
のマスコミが伝えている。

ラムザン・カディーロフ首長は、1月26日、ガカーエフ兄弟の殲滅は、2006年夏の、シャミリ・バサー
エフ抹殺以来の大成果であり、彼らは、国外に逃げている、口先だけのドッカ・ウマーロフよりも、
はるかに凶悪な存在であった。このシャイタン(魔物)の除去は、国内の安定に寄与するものだと語った。

イマラート派の「カフカス・センター」だけでなく、イチケリア派の「チェチェンプレス」(ザカーエフ
派)、「チェチェニュース」(自由カフカス派)、「ダイモーク」なども状況をかなり詳しく伝え、彼ら
の殉教を悼んでいる。ガカーエフは、バサーエフの部隊に1994年に、若くして加わって以来、ずっと
ムジャーヒド(イスラーム戦士)人生を歩んできた。

最も特筆すべき、彼の戦いは、2010年のカディーロフの出身村、ツェントロイ強襲の成功である。しかし、
その後、今日まで2年以上、緻密に計算された大規模作戦は、チェチェン国内でも、他の周辺北カフカス
地域でも発生していない。その理由は、武装勢力側の資金や武器の枯渇とまで行かずとも著しい減少で
あろう。

ドッカ・ウマーロフは数年前に、参加を希望する若者に供給できる武器が足りていないことを認めている。
チェチェン国内の武装勢力は、それぞれ周辺地域のコミュニティに陰で支えられて存在している。支えを
失った勢力は、イングーシや、ダゲスタンに去ることを余儀なくさせられた。ロシア側は、カディロフ派を
前面に立て、大量に駐屯するロシア兵は兵舎に閉じ込め、武器の流出を最小限にする戦術を成功させている。

しかし、占領と傀儡勢力の腐敗は、住民の不満を最終的には抑えつけられないだろう。今回、武装勢力が受け
た傷は大きなものだろう。しかし、いづれまた傷は癒され、抵抗運動は再開されるであろう。過去400年の
歴史が、そのような繰り返しであったように。


2012.08.29.
チェチェン国内の武装抵抗運動のことを、いつごろからだろうか、「チェチェン解放戦線」と幾つかの
チェチェン・ウェブサイトが呼び始めている。短いビデオクリップだが、チェチェン東南部山岳地帯の
森林部で、フセイン・ガカーエフ(1970/7/8生まれ)、アスラン・ヴァダーロフ(1971/4/3生まれ)と
いった司令官クラスの幹部たちが、6人で車座をつくって、シューラと呼ばれる司令官会議を行った
様子が、YouTubeに投稿された。

会議自体はチェチェン語で進行しており、聞き分けること難しいが、DAYMOHKによれば、東部山岳地帯
の武装勢力は最近、西部地域の武装勢力とも連絡を取り、本年秋以降の作戦計画を調整したという。また
ビデオクリップの末尾には、このシューラを支えた、野営中の若いムジャヒディンたちが写っている。この
ビデオは、イマラート派の「カフカス・センター」によるものだが、写っている面々は、2010年に、武装
勢力の最高指導者、ドッカ・ウマーロフを激しく批判して、一時彼の指導から離脱を宣言し、独自作戦と
して、親ロシア傀儡政権の独裁者、ラムザン・カディロフの故郷の村ツェントロイーカディロフの大豪邸が
あるーを襲撃した面々である。その強襲の成功に、チェチェンの一般民衆も大いに溜飲をさげ、一方、独裁
者は、自分の村すら守れない腰抜けと、面子を丸潰しにさせられた。しかし、ガカーエフらは、国外からの
戦費調達が、思うようには進まず、どのような妥協が行われたかは不明だが、1年を経ずして、ドッカの
指導の下に復帰せざるを得なかった。

一方、カディロフ政権は、ツェントロイ村襲撃犯の掃討成功をうたってきたが、それが、ほとんど作り話で
あると、仲が良いとは言えない、隣国、イングーシ共和国大統領首長、ユヌス=ベク・エフクロフから酷評
されてきたが、その指摘が正しかったことを、今回のシューラ開催は、図らずも証明したと言えるだろう。

武装抵抗運動は、相変わらずロシア軍や協力者への襲撃を繰り返している。その待ち伏せ攻撃の一例が、この
ビデオクリップで、2012年8月に、チェチェン西部のアチホイ・マルタン地区で撮影されたものとされている。
道路わきで、待ち伏せしていた武装勢力が、通りかかった小型四駆車に一斉射撃を加える様子と、ワンボッ
クス車を遠隔操作地雷で爆破する様子が写っている。



2012.07.31.
出典: http://www.kavkaz-uzel.ru/articles/209566/

7月11日づけでロシアの人権団体メモリアルが運営している情報サイト、カフカスキー・ウーゼルが、
2012年第2四半期(4-6月)の北カフカスにおける武力紛争の死傷者数の集計を公表した。

それによると、北カフカス全域での死傷者数は最低でも355名で、死者169名、負傷者186名とされて
いる。死者の内訳として、49名が、軍・治安当局要員、108名が違法武装組織参加者、12名が一般
住民であった。また負傷者の内訳は、125名が、軍・治安当局要員、2名が違法武装組織参加者、
59名が一般住民であった。

この数字は、公開されている情報源と独自に集めた情報を集計しているが、法執行機関の公表数字
と現実との乖離や、全ての情報を入手できる訳ではない状況から100%正確とは言えない。

237名と、最も多くの死傷者が出ているのはダゲスタンである。死者数102名、負傷者数135名。
ちなみに第一四半期の死傷者数は116名だった。また2010年の年間で685名、2011年の年間で、
824名だった。

次に死傷者数が多かったのは、カバルディノ・バルカリアで、41名。内、死者が25名、負傷者16名。

イングシェーチア 死傷者数、36名。死者が14名、負傷者22名。

チェチニア 死傷者数、24名。死者が15名、負傷者9名。

スタブロポリ地方(現在のロシア連邦では北カフカス連邦管区に属する) 死傷者数、11名。死者
が9名、負傷者2名。

カラチャエボ・チェルケシア 死傷者数、6名。死者が4名、負傷者2名。

訳注:
カフカスキー・ウーゼルは、これまでも定期的に死傷者数の集計を公表してきた。ロシア語版によった
が、英語版にもこれらの数字は公開されている。

参考: 衛星からの眺め 
チェチェン首都における軍事基地を覗く