問題の根源

 自らに問いを発してみよう。北カフカスのどこに問題があるのだろうかと。我々は既に多すぎるほどの回答を聞いてきた。

 が、一つだけはっきりした点では共通 している明らかなことがある。カフカスと戦ってきたのは誰だったか?北カフカスの
民族を強制移住させたのは誰だったか?この地に流血を強いたのは誰だったか?死体に敬意を払わなかったのは誰なのか?
その答えはロシアに決まっている。

 ピョートル大帝の時代からロシアは暖かい海の岸辺に出ることを自らの課題にしてきた。その道には歴史的な競争相手、
トルコとイランが立ちはだかってきた。しかし、既に18世紀、国際的な軍事的・政治的力を失っていたトルコとイランは、
ロシアのカフカス進出をくい止めることが出来なかった。そして西側の世界中に関心を持つ強国もロシアのカフカス進出には口を
挟まなかった。こうしてロシアがカフカスを占領した。

 カフカスを占領して130年以上が経つ今、ロシアはカフカスを自分の庭のように語っている。ロシア大統領ボリス・エリツィンが
1995年9月26日に国連総会で語った演説がそれを証明している。ツァーリズム・ロシア、ボリシェビズム・ロシア、そして引き
続く現ロシアと、時代は変わっても暖かい海を目指すという戦略的な目標は変わっていない。ロシアが自分の目標に向かって
努力を続ける間は、カフカスの安定は実現しないであろう。というのも、カフカスは、ロシアにとって南の海に向かう門のような
ものだからだ。

 カフカスにおける問題の源泉としては、さらに経済政策、正確に表現すれば、旧ソ連時代の経済政策の亡霊的残骸が上げ
られる。

 カフカスは豊かな石油の産地であり、豊穣な土地である。それらもまた問題を引き起こす根源となっている。これら天然の恵み
の分け前を近隣諸国が望んでいるからだ。それらが解決したとしても、更に控えているのが、民族と民族分布問題である。

 グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンという、外カフカス(南カフカス)諸国については、グルジアのアブハジアと南オセチアを
除いて、ひとまず置いておき、北カフカスの深刻な民族とその分布問題を解説して行こう。北カフカスには50以上の民族集団
(エスニック・グループ)が暮らしている。彼らは、9つの共和国と自治州に分けられている。共産主義の時代、特にスターリン時代に
極めて 反民族的な政策が挑発的に繰り広げられた。例えば、ある民族の土地が、他の民族に譲り渡されるといった施策で、結果
としてカフカスは、いわば民族問題の地雷原と化したのである。まずダゲスタンから南オセチアまで順を追って北カフカスの民族問題
を検討していこう。


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