カフカスの民族問題 エロール・カラエリ


はじめに

 1991年末のアルマトゥ会議の後、そのくびきに数千万の自由や経済的独立を知らぬ人々を縛りつけていたソビエト社会主義連邦共和国
(USSR)は崩壊した。

 この変化はロシア帝国の全域を震撼させた。ソ連を構成する15の共和国は独立を宣言し新国家を形成した。そしてロシア社会主義連邦
共和国(RSFSR)に含まれていた 21の自治共和国・州は、クレムリンの圧力の下、ロシア連邦を形成した。その後、ロシアは他の国々
にも圧力を掛けて統合を強いて独立国家共同体 (SNG=CIS)を形成させた。

 旧ソ連の諸民族にとって、この過程は非常に病的なものに推移した。急速な変化は全ての地域に不安定な状況を作り出し、それは特に
カフカス地域で顕著に現れた。独立を宣言した外カフカス諸国(グルジア、アゼルバイジャン、アルメニヤ)は、ロシア側からの挑発に
対応しきれなかった。

 その結果、局地的な民族間戦争が勃発した。その戦争の終結のためロシアの利益に従わざるをえなかった。そしてアルメニア領内に
3つの、グルジアには4つの軍事基地が置かれることになった。軍事基地が置かれて脆弱な和平が実現したが、今日まで問題は解決せぬ
ままになっている。これらの事件が起こっているとき、北カフカスでも事態は先鋭化していた。


訳注: この論文は、トルコのイスタンブールに本拠を持ち、北カフカス出身者たちによって創設された「カフカス財団 Kafkas Vakfi」
のウェブサイト、ロシア語版に掲載されたものである。
http://www.kafkas.org.tr/russian/bgkafkas/etniksorunlar.html#2  

 現在、このURLは閉鎖されている。19世紀後半の数十年にわたるカフカス大戦争の結果、ロシア帝国は、北カフカスの少なからぬ民族
集団を完全に抹殺し、殺害を免れた多くの人びとを隣国トルコのアナトリア半島に追放した。現在でも、北カフカスに暮らすカフカス
諸民族よりも、実数においては、トルコに暮らす北カフカス出身者の方が多いと言われていることを知っておくべきかと思う。

 2014年には、黒海沿岸のソチで冬季オリンピックがロシアの国威をかけて開催されるが、トルコ在住のカフカス・ディアスポラを中心に、
ジェノサイド・オリンピック反対の運動が根強く続いている。というのも、ソチ周辺ももともとは、カフカス諸民族の土地であったが、
それら先住民は、圧政の中で完全に消え去ったからなのだ。

本文は、第2次チェチェン戦争勃発以前の1997年に公表されたものであるが、今日的な意味は、失われていないと考える。
(訳者: 岡田一男)

問題の根源

ダゲスタン

チェチニア 

イングシェチア

北オセチア

カバルディノ・バルカリア

カラチャイ・チェルケシア

アディゲヤ

アブハジア 

南オセチア

問題の解決 


参考リンク: 

カフカス民族言語地図


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