イングシェチア

 イングーシ共和国には、16万人のイン グーシ人と10万人弱のロシア人他の少数民族が居住している。ロシア・チェチェン戦争が
始まったとき、イングーシ共和国は
10万人の難民を受け容れた。 チェチェン人と同一の言語を話すのであるが、イングーシ人は、
自らを異なる民族と見なしている。イングーシ人は、ロシア・チェチェン戦争が始まる以前にチェ チェン・イングーシ共和国から分離
独立して、自らの共和国を形成した。分離したイングーシ人はチェチェン・イングーシ共和国のオセチア・イングーシ問題にとってきた
やり方に不満を表明した。

 古来よりイングーシ人はテレク川の右岸(東岸)に、オセット人は左岸(西岸)に暮らしてきた。 1784年にロシア人はテレク川の
岸辺にウラジカフカス要塞を築いた。ここの右岸はイングーシに、左岸はオセットに帰属していた。ところが、第2次世界大 戦時、
イングーシ人の強制移住が行われると、その市街部分が全てオセット人のものとなった。
1957年のフルシチョフによる恩赦の結果、
イングーシ人を含めて強制移住されていた諸民族は郷里に戻ったが、市街地とそれに隣接する東岸7つの村は、返還されなかった。
この問題を最終的に解決されたとはイングーシ人は思っていない。 

この問題を巡っては、ソ連時代にすらオセット人とイングーシ人の間で武力衝突、殺人事件が発生していた。最近では 1992年に
この問題が未解決であることから、多くの血が流された。今日境界線付近は比較的に静穏であるが、いつ何時、ここが新しい戦争の
発火点となるやも知れない。




訳注: 1944年の強制移住以前のチェチェン・イングーシソビエト社会主義自治共和国の正確な地図は入手できないばかりか、
見たことがない。知り合いのチェチェン人に聞いても、見たことがあるという者にであったことがない。


ドキュメンタリー映像「イングーシの伝説」ロシア語版
ファティマ・ムツォリゴヴァ エレナ・ミハイロフスカヤ演出 オルディ・アクイリナ
2011年作品 56分
 英国在住のイングーシ女性による作品英語の作品紹介サイト


イングーシ共和国公式サイト ingshetia.ru
イングーシの情報サイト 06region.ru
非政府系情報サイト ingshetia_ru 
イスラーム武装勢力プロパガンダサイト HUNAFA.COM


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2012.07.30.